冬の観光と交通事故

昨日、知人が交通事故に巻き込まれた。
幸いケガなく済んだのが幸いだった。

状況は典型的な冬型の事故。
知人が主幹道路を走行していたところ、道路左の市道から、一時停止を止まり切れずに車が出てきたというもの。

冬は、このような自己が頻発する。

ところで。事故の相手はレンタカーを運転する東南アジアからの観光客。

北海道に住み慣れた我々も、ブレーキをかけても止まり切れなかったり、ハンドルを切っても曲がり切れなかったりという経験は、20km/hくらいの低速でも頻繁に経験する。
そう考えると、雪のない国から来た冬道運転の経験ない人に、車を貸すのはどうなのだろう。

「冬道に気を付けて運転して下さい」と言われても、何に気を付けて良いのかわからない。知識だけでは、冬道の事故は避けられない。

今日も、冬道経験のないドライバーが車を走らせるだろう。
自己なき事を願う。

映画 イモータル・ライフ・オブ・ヘンリエッタ・ラックス

イモータル・ライフ・オブ・ヘンリエッタ・ラックスを観た。

書籍は2年ほど前に読んでいた。

 

医療分野に計り知れない功績を残したヒーラ細胞
自分もその利を被って、今日も生きている。

知らぬ間に、誰かの犠牲の恩恵にあずかって今日の僕がいる。
この映画を観て、身を切られそうになった。

 

映画 テイキング・チャンス

主人公がイラク戦争で戦死した青年兵士の遺体を家まで送り届けるまでを描いた映画。

観た人は戦死を美化していると感じるかもしれない。
僕もそう思わなくはないが、それにも増して儀式の意味を感じさせられた。

 

公の機関がイラクにおける戦死者を数えてはいない。
戦死者を数える体制がないので、ボランティアが数えている。

https://www.iraqbodycount.org/

 

威厳ある儀式と戦死者を数えない体制との狭間に割り切れなさを感じる者はいるのだろうか。

 

映画 山河遥かなり

アマゾンプライムに薦められるまま、『山河遥かなり』を観た。第二次大戦終戦期、親とはぐれた少年とアメリカ兵が紡ぐ物語。1948年のアメリカ映画である。

アメリカ映画だからかもしれないが、戦争によって家族とはぐれてしまった人々に、アメリカが組織的に対応していることに興味をもった。「日本が勝った」ことになっている過去の戦争の時、日本はどういう対応をとったのだろう。

民主主義は終わるのか

山口二郎著『民主主義は終わるのか ―― 瀬戸際に立つ日本』を読んだ。
山口氏はかつて、北海道大学でも教鞭をとっていたので親近感大(直接お話するには恐れ多いけど)。

かつて宮台真司氏が日本の民主主義の事を「国民はぶー垂れて、何もしない、なんちゃって民主主義」と揶揄していた。現在、なんちゃって民主主義は、僕らのなかに深く根を張ってしまった感がある。風呂場の壁のタイルに住み着く黒カビのように。

この本を読んでそう感じた。

がんばれJR北海道

北海道は降雪に関する注意報が出ている。

職場には明日あさってにかけて、200kmほど離れた町に出張へ出かける者たちがいるけれど、公共機関は動くのか。
行ったとしても帰ってこられるのか。
北海道では良くある心配。

かつてのJR北海道のキャッチコピーは「冬こそJR」。
雪が降っても大丈夫! が売りだった。
線路の補修費がままならぬ現在、都市間バスの方が圧倒的に運行率が高い。しかも運賃が安い。
鉄路がなくなると北海道は大変なことになる。でも、遅延や運休が頻発するので、大事な出張の時は都市間バスを使ってしまう。このジレンマがなんとも歯がゆい。がんばれJR北海道